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2024年08月25日

国民国家・ナショナリズムのなかでの「日本復帰」動向 私の沖縄(歴史)研究18

 「近代化」は、国民国家の形成とそれにイデオロギー的に結び合うナショナリズムと、深いかかわりをもつ。このことが沖縄において大きな問題となるのが、日本「復帰」をめぐる動向であった。いくつかの視点からの検討が必要となる。
 まず地球上の人間集団が住む地域は、どこかの国家に所属し、そこではなにかのつながりをもつ「国民」(ないしは「民族」)によって構成されるという「国民国家」発想からの検討がある。それは一民族一国家という発想になることもあった。国単位発想といってもよいだろう。
この国民国家発想は、16―17世紀の西欧から始まる。そして、強力な国民国家が帝国主義化して、他民族が生活する地域を植民地化して支配する動きが19世紀末から20世紀前半にかたちづくられ、世界を帝国主義国家で分割支配するまでに至る。
そして、支配統治する国家の植民地となる状態から独立する動きが、とくに第二次世界大戦後、世界各地で展開した。それは、民族独立運動としてナショナリズム的色彩をもって展開された。
 国民国家の歴史は長く続いたものではない。西欧では300年前後の歴史があるとしても、日本を含むアジアでは、長く見積もっても150余年、短く見積もれば第二次大戦前後以降の歴史である。
 戦後の「国民国家」独立の動きを促したのは、帝国主義列強による植民地支配への抵抗運動であった。アジアでは、欧米列強に加えて、長い歴史をもつ「中華思想」(周辺の「野蛮」地域を支配する「中華」の存在という発想)にもとづく周辺地域の支配、そして日本帝国主義による東アジア地域の支配、とそれらへの抵抗運動があった。それらは、近代においてはナショナリズムという衣をつけて展開されることが多かった。
 では、沖縄の米軍支配はどうだろうか。植民地支配というよりも、軍事基地の必要からの支配、という特異な性格をもっていた。植民地支配なら存在する、沖縄からアメリカへの経済的な「収益」はゼロに近かった。かといって、自国領土にして、沖縄住民をアメリカン・ネイションとしてあつかったかというと、そうではなかった。
 また、琉球王国を廃して、大日本帝国に組み込んだ「琉球処分」(ないしは「併合」)はどうだろうか。これについては、多様な分析評価がなされ、論争を生み出してきた。「日本」側の意図としては、琉球=沖縄住民を、日本ナショナリズムの枠内に統合し、日本国家の支配が直接に及ぶ地域にすることだった。軍事的政治的にはそうであった。経済的には、沖縄にふさわしい恩恵をもたらしたかというと、収支決算からみると、沖縄は差し引きでは損失を被るような、植民地的要素さえ含む措置を展開してきた。言語・生活文化などの文化面ではどうだろうか。日本語の系統の一つである沖縄語を、尊重し豊かな発展を追求するのではなく、標準語強制方言撲滅という構図での施策が追求された。そこでは「日本単一民族」論とか、「日琉同祖論」とかのイデオロギーが使用された。それへの異議申し立ては、強く抑圧された。

国民国家・ナショナリズムのなかでの「日本復帰」動向 私の沖縄(歴史)研究18

写真は本文にかかわりなく、夕焼



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Posted by 浅野誠 at 13:59│Comments(0)沖縄
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