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2024年09月13日

老年者集団の登場  老真最中15

今回は、数百年単位の長いスパンで老年期の「生き方」の歴史的変化を見つつ、今後の「生まれ変わり」を構想することの基礎作業をメモることにしよう。それは、社会変化の重大構成要因の一つとして「生き方」を位置づけることでもある。というのは、「老年期」の「生き方」が社会の中で果たす位置・役割を歴史的に考えてみる、ということである。といっても、こうした問題関心が長く希薄であったために、文献資料などでもヒントを見出すのは難しい。加えて、私自身も、このテーマについては初心者である。さらに深めていけば、ヒントになるものを見出せる可能性はある。だから、ここでは粗削りなスケッチになるだろう。
まず、老年期集団が登場したのはいつごろからだろうか。そんなのは、昔から存在していたのだから、問の設定自体おかしいといわれそうだ。何歳からを老年期とみるかによって異なるから、仮に現在の法的扱いのように65歳以上を老年期としてみよう。現在は、地域による差異が大きいが、総人口20~30%が含まれる。江戸時代までは、それに該当する人口はゼロに近いし、多くても数%未満だったろう。一つの集落に、数人いれば多いほうだったろう。だから、該当者は、集落の歴史を知り、知恵を持つものとして尊敬されていた。そして、税負担を免除軽減されていた。貧困にあえぐところでは、「姥捨て山」伝説がみられよう。
そうした時代には、50代に入れば、「初老」となって、老人扱いされていただろう。
こうした事態に変化があらわれ、老年期人口が徐々に増加しはじめるのは、明治期以降であろう。劇的に増加するのは、戦後のことで、集落に老人会が生まれ始める。地域における老人組織の歴史は長くはないのだ。
岐阜県の農村部での私個人の記憶をたどろう。幼少年期の私の記憶にある老人は、父方と母方を合わせて4人の祖父母たちだけだった。60~70代でなくなった祖父母は、60代から「隠居」の雰囲気を持ち始めるが、しばらくしてなくなっている。一人だけが80代までいた。一人の祖母が孫の私に飴玉をくれたのが記憶に残っている。一人の祖父は、朝夕の「お勤め」(仏壇の前での読経)をし、孫たちはそれに付き合わされた。
祖父母以外の老人を見かけることはほぼなかった。祭りなどの行事で見かけることもなかった。
私が、65歳以上の人をしばしば見かけるようになったのは、1970年代に大学院生および大学教員になって以降である。当時、大学教員が定年退職の60歳前後に亡くなる例によく出会った。70歳以上でも活躍しておられる方に出会うようになったのは、1990年代以降のことだ。

老年者集団の登場  老真最中15

写真は本文にかかわりなく、お絵かき教室で制作したバッジ4個


タグ :老年者集団

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Posted by 浅野誠 at 11:49│Comments(0)生き方人生
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