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2024年08月21日

生活の「近代化」 新生活運動 私の沖縄(歴史)研究17

 戦後広く展開した米軍支配への抵抗は、当初政治的イデオロギー的な性格は薄く、生活確保の色彩が濃厚である。それだけ米軍統治が住民を守るものでなく、軍事目的であったのだ。それは戦前戦中をとおしての日本軍においても同様であった。
 米軍は、土地闘争に代表される住民側の反米軍の動きを「なだめる」意図をもって、住民生活を守るという衣をつけて「弁務官資金」などとして、「恩情」を与える措置をとる。それは、アメリカ的生活の豊かさを宣伝するという性格をももっていた。それが、戦後沖縄における「近代化」の一つの形になっていく。
 「近代化」とかかわって注目されるのは、50年代後半から60年代半ばにかけて展開された新生活運動である。便利さと合理性を軸とする欧米式生活様式、わけてもアメリカ型のものが大きな関心をひきよせていく。改良かまど、電気洗濯機・テレビなどの電気機器、パン食などが、家庭生活に入り込んでくる。
類似のこととして、健康や医療分野でも進む。赤ちゃんコンクールや「家族計画」動向がその例である。なお、新生活運動のなかでも、その一環としての「家庭から標準語を」という取り組みがあったことが注目される。
 「近代化」は、このように合理化・科学化・便利性と一体となって捉えられていた。これらの動向は、沖縄でも60年代半ばから広がり始める大量消費型生活様式へと変化していく。その象徴的存在として、「マイカー」の普及がある。
なお、新生活運動は、日本における運動と軌を一にする点にも留意する必要がある。推進する行政や諸組織が日本本土の関連組織と交流を深めて運動を展開してきた。新生活運動推進の中心組織である地域ごとに組織された「婦人会」を含め、「教職員会」「青年会」といった諸組織が、戦前来の行政従属体質を徐々に変え、社会運動的性格を帯びていく。
 そして、住民自身が自分たちの願いをもとに、自分たちなりの「近代化」を築いていくという性格を持っていた点も見落としてはならない。

生活の「近代化」 新生活運動 私の沖縄(歴史)研究17

写真は本文にかかわりなく、わが庭の一部



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Posted by 浅野誠 at 16:04│Comments(0)沖縄
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