てぃーだブログ › 沖縄南城・人生創造・浅野誠 › 沖縄 › 国民国家・ナショナリズム、エスニック、沖縄アイデンティティ 私の沖縄(歴史)研究19

2024年09月01日

国民国家・ナショナリズム、エスニック、沖縄アイデンティティ 私の沖縄(歴史)研究19

 沖縄が否定的扱いを受けたことが、琉球=沖縄ナショナリズムを生み出すことを促進してきた。だが、国民国家を形成するものとして、琉球=沖縄を扱えるのか、沖縄人を沖縄民族ないしは琉球民族とみることができるかという疑問が生じる。
ナショナリズムは、国家形成維持を担うに相当するネイション(民族、国民)の存在を前提にする。沖縄住民をネイションとみることが難しいとすれば、「エスニック」「エスニシティ」と把握するのではどうか、という議論が立ち上がってくる。複数の多様なエスニシティの連合・連携によってネイションが構成されるという発想である。
沖縄住民のアイデンティティ意識の調査で、「日本人であり沖縄人である」という回答が多数を占めるのは、エスニシティとしての沖縄とネイションとしての日本という二重のアイデンティティを持つ人がかなり多いからである。
 また、「沖縄自立」「沖縄の自律」「沖縄の自治」とか「沖縄アイデンティティ」という捉え方もある。日本の明治以降は、「地方自治」が存在したとしても、かなり弱いものであった。「官治的地方自治」と言われるような、住民自治とは縁遠い自治であった。そうしたものではなく、沖縄住民自身の自律・自治としての地方自治を求める動向が広く存在するが、いまでも実現しているとはいいがたい。ドイツ・カナダ・アメリカなどは、州が持つ自治権限は甚だ強い。それらの国での国民国家は連邦国家ないしは連合国家の様相を呈する。
 そこで、関心が寄せられたのは、15~19世紀における琉球王国をどうとらえるかという問題である。だが、近代とはかかわりが薄い異なる時代の王国の営みを、近代におけるナショナリズム動向とを結び付けて論ずることには無理がある。
 異なる時代のものを近現代と結び付ける事例としては、古代の神話や天皇制と、明治以降の天皇制国家とを結びつける論がある。近代ナショナリズムだけでは、支配を貫徹するうえで難しいので、「古い」思想などを引き出して衣をつけて展開する事例は、結構多い。
 たとえば、日本神話と沖縄神話は、創世神話を含めて、かなり異なるものがあり、両者を同一の枠内で把握するのは、困難である。にもかかわらず、戦前、日本神話を学校教育を通して、沖縄に浸透させようとしたのだが、原理的に無理があった。

国民国家・ナショナリズム、エスニック、沖縄アイデンティティ 私の沖縄(歴史)研究19

写真は本文にかかわりなく、屋上に咲くドラゴンフルーツの花を3階ベランダから写す



同じカテゴリー(沖縄)の記事

Posted by 浅野誠 at 14:44│Comments(0)沖縄
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。