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2024年09月12日

「日本化(同化)とナショナリズム」をめぐる論の補足 私の沖縄(歴史)研究21

箇条書き風になるが、これまで述べたことにいくつか補足を加えよう。
「復帰」は、沖縄住民にとっては、米軍支配が日本政府統治へと移行したということであった。無論ネイションとしての日本に組み込まれたことで生まれる利点がないわけではなかった
そして軍事面でいうと、日本軍から受けた否定的体験、そして米軍支配による否定的体験、これらの体験に基づく、戦争と平和をめぐる語り継ぎを含む平和運動の展開ならびに平和教育の展開が、20世紀後半以降の沖縄史にとって、決定的に重要な問題となる。
ところで、ネイションとエスニックにかかわることでいうと、17~19世紀の琉球王国は、薩摩・幕府への従属を前提にして存在したが、それは近代国家とかネイションとかとは次元が異なるものであった。なお、中国への形式的所属(中華秩序にもとづくもので、実質的国家統治とは異なる)と文化面での「あこがれ」と習得も、近代国家とは次元が異なる。
明治以降の日本における近代国家形成のなかで、沖縄は日本によって軍事的政治的に「統一」「併合」されていく。そして、文化的にも「併合」されようとしていく。
なお、戦後期(さらには今日まで)における日本は、対米従属下で、実質的な「独立」とはいいがたいとの指摘は重要である。その意味で日本が、国民国家であるとしても、どのレベルことなのか、と限定的にとらえる必要がある。
国民国家を論じる際にもう一つ欠かせないのは、経済・財政上の支配従属関係である。それが、帝国主義的な支配下における植民地だけでなく、近年の新自由主義的な実質上の支配従属関係でも展開していることへの注目が必要である。

こうした多様な視点を含みもって、沖縄・日本・アメリカの関係を米軍支配期だけでなく、21世紀の今日においても把握することが求められる。
そしてまた、ナショナリズムの枠組みにもとづく思考を絶対化せず、ナショナリズムがどの分野でどのレベルまで貫かれているかいないかを見極めることが求められる。

連載12回目から今回まで、連載11回目記事(7月20日記事)の中の「1.日本化(同化)とナショナリズム」を中心に書いてきた。
次回から、「6.再帰的(自己展開的)な思考行動」について書いていこう。

「日本化(同化)とナショナリズム」をめぐる論の補足 私の沖縄(歴史)研究21

写真は本文にかかわりなく、アメイシア(果樹)の花



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Posted by 浅野誠 at 12:44│Comments(0)沖縄
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