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2024年08月29日

シュガーホール運営審議会会長 私の人生通算291

2000年代から2010年代へと移るころ、私の活動や研究分野は、大きく変化していく。世界や日本全体を直接の視野に入れた活動は激減し、沖縄わけても居住する南城を対象にした活動の比重が高まっていく。それに対応して、執筆するものも沖縄限定のものが増えていく。また、それまで中心であった教育を対象とするものの比率が低下し、多様な分野へと広がっていく。
それと関係して、南城市の諸委員会にかかわる活動が増加する。その諸委員会の最初は南城市文化センターシュガーホール運営審議委員会であり、当初は副会長を務め、二期目以降会長を引き受けていく。1994年創立のシュガーホールは当初佐敷町立であったが、市町村合併にともない、南城市立となる。1970年代半ばから琉球大学の同僚としていろいろと仕事をしあってきた畏友で作曲家中村透が、創設前から創立構想作成を含めて深くかかわり、創設後は音楽監督としてリーダーシップを発揮していた。
 シュガーホールについては、すでに連載255で書いたが、町村合併にともない、「南城市立」となり、活動の再編がすすむ。たとえば、町民ミュージカルは市民ミュージカルになる。運営審議会も、市内外の音楽芸能関係専門家が委員となり、盛り立てていく。
 長期の活動計画を練り上げる委員会では、私の提案でワークショップで構想を練り上げることもした。この委員会の委員・会長職は2017年3月まで続く。この間の業務の一つに「シュガーホール活性化計画(平成26年度~30年度)」の作成があり、2014年3月に出来上がった。また、会長職は、「おきでんシュガーホール新人演奏会オーディション運営委員会」の職責委員をすることもあり、何年かかかわった。しかし、2010年代末になると、市の方針として、シュガーホールをそれまでの直営ではなく、外部委託にすることへと変わっていく中で、運営審議会もなくなり、私のシュガーホールへのかかわりも薄れていく。
 それにしても、シュガーホールにかかわることで、音楽、ことにクラシックを鑑賞する機会に恵まれ、毎月のように出かけて楽しんだ。余談だが、シュガーホールに関係の深い玻名城律子さんのコンサートが本番開催前に、準備コンサートを我が家で開き、近隣の方々がじかに歌唱を楽しんだこともある。このように恵まれた環境にありながら、私の音楽への感受性の成長は牛歩のようだった。10年代末に、関係する役職から離れ、コロナ禍が訪れるとともに、足が遠のくことになった。加えて畏友中村透死去が、ますますそうさせていった。

シュガーホール運営審議会会長 私の人生通算291

写真は本文にかかわりなく、海と空



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