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2024年08月08日

半島芸術祭in南城 私の人生通算287

 南城市域には、多様な工芸作家が活躍しているが、その人たちを盛り立てるために、何人かの有志が動いて、「半島芸術祭in南城」という企画が立ち上がったのは2008年だった。陶芸、木工、織物、ガラス細工など多種にわたる工芸作家が工房を開放して、市内外の多くの訪問者を歓迎した。最初の1~2年は恵美子も隣人とともに参加した。隣人にパッチワーク専門家などもいるなか、恵美子は海岸に流れ着いたブイ(浮き)に絵を描いていた。珍しいので素人にもかかわらず関心を持たれた。くわえて、近隣の高齢者が自家栽培の野菜、私がハーブを出品した。
 20世紀末には数軒だった陶芸工房が、この時期に激増していたし、多種の工房が市内のあちこちに作られていた。この機会に、各種の作家と知り合いになり、南城市内の知人がぐんと増えた。芸術祭推進役の三木(琉球新報元副社長)さんは、以前からの知り合いだったし、三木夫人の元子さんは恵美子と親しい仲であったこともあり、加えてかれの「山小屋」が我が家から徒歩圏内にあったこともあり、親しくした。植物交換もして、いただいたオオタニワタリは、わが庭で元気よく広がっている。また、彼が中心になってすすめていたニューカレドニアとの交流の機会にも参加したりした。
 また、天描画家大城清太さんとも、売り出し中のこの時期に親しくなった。彼も含めて点描作家の仕事に刺激されて、恵美子は自分でも点描を描くようになった。
 この時期には、近隣にお住いの磯崎主佳さん、梅原龍さん、稲福哲雄さんをはじめ何人もの作家さんたちと親しい関係を続けている。その一人の小川京子さんは、数年後に宮古に帰られるが、つきあいは2020年代の今も続いている。我が家には、これらの作家さんの作品がおかれたり、使用されたりしている。近隣ではないが、他に何人もの作家とのつながりができ続いている。こうしたつきあいは、それまでの私の人生にはなかったもので、その後も美術工芸系芸術とのかかわりが深くなっていく。
半島芸術祭in南城が2010年代半ばに終了となったのは残念だった。

 この時期、多様なコンサートや観劇機会にも参加したが、わけてもコザなどで開かれたキジムナーフェスタには、ほぼ毎年参加した。パネリストになったこともあった。主催したACO関係者とも親しく付き合った。ACOが作った知念のレストランにもしばしば通った。そこで行われた津波信一さんの室内芝居や、屋外ステージで開かれた平良進のシェイクスピア劇も鑑賞した。さらに、国立組踊劇場に足を伸ばすことも多かった。

半島芸術祭in南城 私の人生通算287

写真は本文にかかわりなく、わが猫アメの寝姿
 



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