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2024年04月10日

子ども集団の構造的変容 学級集団づくりの再構築期7

前回4月5日記事に書いたことの進行は、地域における共同体の縮小消滅の反映でもあった。子ども集団を構成するはずの子どもたちは存在しているのだが、子どもたちの姿、子ども集団が地域に見えなくなってくるのは70年代後半から80年代にかけてのことだった。地域の自生的子ども集団に代わって、学習塾、お稽古事塾、スポーツ少年団などが広がっていく。それらは有料組織であり、市場経済そしてマスメディア文化の強い影響のもとに作られた。そして、そうした組織が大人たちの運営管理のもとに置かれ、子どもたちが自治的に運営することが減少していく中、子どもたちは、それらの組織の隙間に自分たちの相互関係を築き始める。また、それらの組織には、子どもたちがかかわる文化特性が反映し、学級で子どもたちが形成するグループは、その文化特性を反映したものとなっていく。それはまた、経済特性を色濃く示す階層性を帯びるものであった。
そうした子どもグループには、家族特性も反映していくが、家族文化が特性に応じて分化していく。地元で農業などの自営業を営む家族、他地域で働く勤め人で戸建てに住む家族、アパート・マンションに住んで移動性の高い家族といった違いは、子どもグループに反映する。なかには閉鎖的で孤立的であることを特性とする家族文化も生まれてくる。
以上述べた子ども集団の構造的変容は、学級という場に組み込まれた子どもたちの変容であり、1970年代以前には前提としていた子ども集団のありようを学級集団が前提にできなくなってきた、ということである。
ところで、民主主義的色彩が濃い市民社会をめざす動向が、戦後民主主義の追求以来、徐々に強まっていく。だが、能力主義的な序列競争の深化、加えて市場社会化の浸透とマスメディア文化の浸透のなかで、市民社会というよりも「大衆社会」の色彩が濃いものへと変容していく。
そのなかで、善きにつけ悪しきにつけ、「しっかりした個人」を前提にして、教師は指導を展開することができなくなっていく。70年代までの集団づくりは、子どもたちが「自生」的に形成している集団がもつ非民主的傾向を民主的なものへと「くみかえ」、そのなかで民主的な個人を育てることを課題にしていた。そのことを前提にするわけにはいかなくなっていく。

子ども集団の構造的変容 学級集団づくりの再構築期7

写真は本文にかかわりなく、濃霧。 数日前 500m先の奥武島も見えない



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Posted by 浅野誠 at 08:15│Comments(0)教育子育て
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