2025年03月12日
自らつくるものとしてのアイデンティティ 沖縄随想11
前回触れた沖縄におけるアイデンティティの近年の動向について、さらに書いていこう。私の友人で、いくつものルーツをもってアメリカから英語教師として沖縄にやってきて、ウチナームコ(沖縄女性と結婚した人)となった人がいるが、かれは自らウチナーンチュだといい、世界のウチナーンチュ大会に参加した。そういうと、ウチナームコである私も、ウチナーンチュと自称してかまわないことになろう。
また、かつてよく使われたナイチャーという表現を避けて、ウチトーンチュという表現を使う人も多い。これなどはヤマトゥンチュとウチナーンチュの二項対立ではなく、多文化的にとらえるものといえよう。関連する言葉としてシマナイチャーというのもある。
こうなってくると、ウチナーンチュをめぐるアイデンティティは、外から与えられるものではなく、自らつくり選ぶものとなってくる。そんな事例は、世界的に見て珍しいものではない。たとえば、先にも述べたが、ルーツが海外であってもアメリカで出生すれば、アメリカ国籍を得られる。また二つ以上の国籍を容認する国も多い。複数国籍を持つ人は、成人とともに、どれか一つを選択しなければならない日本は、異例のこととなるが、それでも自分選択で国籍を決め、アイデンティティを決めることになる。
ところで、ここ数十年の社会・集団にかかわってアイデンティティを考える際に見逃せないのは、ナショナリズムだけでなく、いやナショナリズム以上に重大なのは、個人間競争激化に伴う序列競争秩序のなかでの位置をめぐるアイデンティティの拡大強化である。次回詳しくみていこう。

写真は本文にかかわりなく、室内で羽化中のオオゴマダラ
また、かつてよく使われたナイチャーという表現を避けて、ウチトーンチュという表現を使う人も多い。これなどはヤマトゥンチュとウチナーンチュの二項対立ではなく、多文化的にとらえるものといえよう。関連する言葉としてシマナイチャーというのもある。
こうなってくると、ウチナーンチュをめぐるアイデンティティは、外から与えられるものではなく、自らつくり選ぶものとなってくる。そんな事例は、世界的に見て珍しいものではない。たとえば、先にも述べたが、ルーツが海外であってもアメリカで出生すれば、アメリカ国籍を得られる。また二つ以上の国籍を容認する国も多い。複数国籍を持つ人は、成人とともに、どれか一つを選択しなければならない日本は、異例のこととなるが、それでも自分選択で国籍を決め、アイデンティティを決めることになる。
ところで、ここ数十年の社会・集団にかかわってアイデンティティを考える際に見逃せないのは、ナショナリズムだけでなく、いやナショナリズム以上に重大なのは、個人間競争激化に伴う序列競争秩序のなかでの位置をめぐるアイデンティティの拡大強化である。次回詳しくみていこう。

写真は本文にかかわりなく、室内で羽化中のオオゴマダラ
Posted by 浅野誠 at 19:31│Comments(0)
│沖縄