2024年12月11日
40年ぶりに会う卒業生たち
7日、40年ぶりに会う卒業生たちが来宅した。4年前に同級生会を企画していたが、コロナで中止になってやっとのことで開催。我が家を訪問してくれた。全員、優れた小中校教員として活躍し、現在も再雇用などで忙しい日々。
学生番号79生たちで、センターテスト開始年で、全国各地から琉球大学に入ってきた。今回は4名男子だが、元気溢れるまとめ役、芸術家風、研究者風、庶民風とタイプは多様だが、40年ぶりとは思えない語り合い。年齢こそ重ねたが、尽きない昔話とその後の活躍話。
当時、学年指導教員というシステムがあり、私はその時初めて4年間を通してこの学年を担当した。それまでは、事情があって途中から交代して担当することばかりだった。ということもあって、20名のクラスを、小中高校と同じように、学級集団づくりのように取り組んだ。学年合宿、研究室合宿をはじめとして、いろいろなことに取り組んだ。詳しくは、拙著「大学教師奮戦記」(日本科学者会議教育問題委員会・原正敏・浅野誠編『大学における教育実践』第三巻『実践的大学教育論』水曜社1983年)所収を参照されたい。
またかれらは、首里キャンパス最終期に学園生活を送ったので、再建工事中の首里城を歩いて、当時の学生生活を振り返ったようだ。
この集まりは、2年後に再度集まりを持つ企画を始めている。楽しみだ。

写真は本文にかかわりなく、いつも散策路途中で休憩する場から太平洋を眺める。
学生番号79生たちで、センターテスト開始年で、全国各地から琉球大学に入ってきた。今回は4名男子だが、元気溢れるまとめ役、芸術家風、研究者風、庶民風とタイプは多様だが、40年ぶりとは思えない語り合い。年齢こそ重ねたが、尽きない昔話とその後の活躍話。
当時、学年指導教員というシステムがあり、私はその時初めて4年間を通してこの学年を担当した。それまでは、事情があって途中から交代して担当することばかりだった。ということもあって、20名のクラスを、小中高校と同じように、学級集団づくりのように取り組んだ。学年合宿、研究室合宿をはじめとして、いろいろなことに取り組んだ。詳しくは、拙著「大学教師奮戦記」(日本科学者会議教育問題委員会・原正敏・浅野誠編『大学における教育実践』第三巻『実践的大学教育論』水曜社1983年)所収を参照されたい。
またかれらは、首里キャンパス最終期に学園生活を送ったので、再建工事中の首里城を歩いて、当時の学生生活を振り返ったようだ。
この集まりは、2年後に再度集まりを持つ企画を始めている。楽しみだ。

写真は本文にかかわりなく、いつも散策路途中で休憩する場から太平洋を眺める。
Posted by 浅野誠 at 13:54│Comments(1)
│出会い・集い
この記事へのコメント
あけましておめでとうございます!
本当に最高の再会でした。先生も奥様ともいっぱいお話ができてこれ以上のバックトゥーザフューチャーはありません!
四人だけでしたが、心は逝ってしまった彼も含めて、大賑わいの同窓会でした。
またの機会をと約束して、新年を迎えるって、続くって感じでこれまた、ナイスな感じです。育てていただきありがとうございました。っていうか、影響あり過ぎの4年間で、充実してたんだなぁって再確認できました。
絶対、また参集します!
本当に最高の再会でした。先生も奥様ともいっぱいお話ができてこれ以上のバックトゥーザフューチャーはありません!
四人だけでしたが、心は逝ってしまった彼も含めて、大賑わいの同窓会でした。
またの機会をと約束して、新年を迎えるって、続くって感じでこれまた、ナイスな感じです。育てていただきありがとうございました。っていうか、影響あり過ぎの4年間で、充実してたんだなぁって再確認できました。
絶対、また参集します!
Posted by 安藤賢治 at 2025年01月04日 21:39