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2025年03月06日

大学生時代 教員との出会い 出会った方々29

 教員とのつながりの最初は、堀尾輝久「教育学」の受講だった。専攻分野を教育学と決めていたこともあって、そのころとしては例外的に熱心に受講した。いい期末レポートを書こうと意気込んだが、逆に気負い過ぎて提出できなかったのは残念だった。他に、小出昭一郎「物理学」が印象に残っている。エントロピーの話は興味深かったが、理解ができなかった。他に超著名な丸山真男「政治学」も受講したが、よく呑み込めなかった。その授業を始め何百名というマンモス授業が多く、その後長く問題にし続ける大規模授業への批判的姿勢は、その頃より始まったものだ。  
 専門課程の所属学科を決めるための説明会(宣伝会?)が、2年生前期にあったが、その際、当時3Mと呼ばれた 勝田守一、宮原誠一、宗像誠也さんが、各学科の説明をしておられた。一番印象に残っているのは宮原さんの社会教育についてのもので、社会教育現場で活躍する卒業生の話だった。宗像さんは、「さすが大物」という雰囲気での話だった。落ち着いて知的な探究を魅力的に語ったのは勝田さんだった。ここでの話をもとに、勝田さんの教育史教育哲学コースを選んだ。このコースの教員は、勝田さん以外に、堀尾さん、大田堯さんなどがおられた。3年になると、先生方の授業を聴くだけでなく、多様な場でのお付き合いが始まった。
 3,4年生の時に受けた授業で印象に残っているのは、勝田さんの自宅での授業だった。手術後間もないころで、自宅まで学生が出かけて受講した。発刊されたばかりの「能力と発達と学習」をテキストに話を聴いた。芝田進午の「人間性と人格の理論」と対比して質問した私だったが、そのやりとりは記憶の彼方になってしまった。
 他には、授業というわけではないが、岐阜県恵那の学科学生の調査のサポートで、大田堯さんに加えて当時国民教育研究所におられた坂元忠芳さん、深谷鋿作さんにもお世話していただいた。また、学科は異なるが、五十嵐顕さんにもなにかとお世話いただいたことが記憶に残っている。
 その当時、教育学部増築の計画がすすみ、その立案に教授会・助手会・職員組合・院生自治会・学生自治会の五者で構成された協議会で案を詰めていったが、学生自治会代表の私は、教授会代表の東洋さん、助手会代表の藤岡さん、宮坂さんなどとも親しくなり、つながりは後まで続いていった。

大学生時代 教員との出会い 出会った方々29

写真は、本文にかかわりなく、シュロガヤツリ



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