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2024年06月12日

共同過程としてのワークショップ  小論 ワークショップ35

学校での大半の授業は、たいていの場合、一人の教師と数十人の生徒で進行しているが、生徒間の関係性は薄く、個々人の過程として進行することが多い。それは、授業の中で、教師が伝達提供し、生徒が獲得する知識技能は、個人として所有するイメージが濃厚であるからだ。無論、優れた教師のなかでは生徒の共同過程として進行させることがある。ワークショップでは、なによりも共同過程として進行する。ワークショップの中で発見創造したものの大半は、共同発見創造物であり、その獲得所有者は個人というよりも共同のものである。
個人としての過程があるとしても、個人過程と集団過程との組み合わせで進行していく。時には、ワークショップが展開する広場のなかでチームとかグループが作られ、そのなかに個人が存在するという形になることもある。
 参加者たちが時間と空間を共有し、異質の発見・共通性の発見確認を通しての、自分自身を発見深化させていくのである。それがアイデンティティの発見創造確認ということになっていく。
 また、共同の知恵を発見創造していくことは、共有財産を創り出していくことであり、それはすべての参加者が自由に活用できるもので、個人に分割配分される物ではない。個人のものは皆のものであり、皆のものは個人のものでもあるのである。そこでは、個人財産の量をめぐる競争が成立する状態にはないのだ。

共同過程としてのワークショップ  小論 ワークショップ35

写真は本文にかかわりなく、イルカンダとツマベニチョウ




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