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2024年05月24日

琉球大学での授業など  私の人生通算272

 私の古巣の琉球大学との付き合いも始まる。2000年代後半、若い教員の要請もあって、彼女の教科外教育論クラスで「ゲストティ-チャー」をつとめた。授業の進め方を実演するということだった。一回だけだったが、懐かしい古巣の教室で雰囲気を引き継いでいる学生たちを相手に授業をした。
 2012年からは、非常勤講師として『教科外教育論』の授業を年にほぼ2クラス担当することになり、2016年まで続いた。
 1980年代まで教えてきた学生たちの30年近く後輩にあたるが、最初のうちは学生のありようの大きな変化にとまどうことが多かった。とはいえ、次第に現代の学生のありようとして受け止めていく。主として、理学部、法文学部、教育学部の学生だが、農学部、医学部(看護)の学生もいた。学部学科の再編が進行して、名称が大きく変わったが、30年前の特質を受け継いでいる面も多かった。
 全体的に見て、受験体制のなかで育ってきて、受身的で「型にはまった」学生が多い印象をもった。さらに、自分を「人見知り」タイプだと自認するものも多かった。だとしたら、どうして教職科目をとったのかな、と不思議に思わせられた。それだけに、この授業を通して既成観念を打ち破り、共同創造を展開する楽しさを味わいつつ、そうした力量と意欲を高めることを狙いとしていった。
 気になったのは、私のような授業を他に受講した経験はないと語る学生がほとんどだったことである。30年前は、授業改革が盛んで、共同創造型授業を展開する教員が多かったのが、今ではそうした教員が少数派になったのか、ゼロになったのか、と気になることであった。
 授業では、学生たちは人間関係を築き深めて「人見知り」を卒業し、自分たちで企画を共同創造し、実施していく流れで進めていった。小中高校での体験では「型どおり」に過ごし、この授業で未体験の企画に挑戦することが多く、彼らにとってすごく新鮮、というか驚きのようだった。それでも企画を練り上げるために、グループで市場にでかけるなど多様な世界を探求し、創造のヒントをつかんでいった。通常、同一の学科内メンバーでの授業ばかりだが、この授業では学科学部を超えたつながりができ、取り組みはサークル活動のような様相を呈していった。
 私の授業を参観する人が、特に公立学校教員に多かった。アクティブラーニングとかワークショップ型授業がいわれはじめたころで、ヒントを得たいという希望が広がっていたことがある。それをきっかけに、参観した教員の学校でワークショップを実施することへと発展したこともあった。

 2000年代のころは、かつての同僚がまだ何人も専任職で働いていたが、2010年代に入ると激減していき、別世界のようになったことも感慨深いことであった。

琉球大学での授業など  私の人生通算272

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