2024年10月10日
未着手の研究課題を並べてみる 暦 私の沖縄(歴史)研究27
私には関心をもちながら、未着手のままの研究課題がいくつもある。並べていこう。
まず、自然とのつながりをめぐることである。沖縄は、アニミズム的な信仰・世界観が広く深く生きているという指摘にしばしば出会う。御嶽信仰とかニライカナイ信仰などは象徴的存在だろう。そしてそれらには、自然と闘い、自然を克服しようとする考え方とは異なり、自然とともに、ないしは自然と一体化して生きるという観念がある。
「自然流でいく」と私は理解している「ナンクルナイサー」などは、今日なお強く生きている。この言葉を「投げやりな」否定的意味合いでもってとらえ、そこから脱しようとするのか、それとも「自然流で行く」という肯定的な意味合いでとらえるか、ということがある。
これらは日常の生き方レベルのことだが、歴史的に見ると大きな変化をくぐりぬけてきた。それを示す一つとして暦がある。数百年前、中国から太陰暦が導入される。それ以前は、文書化された暦がなかったにしても、人々の生活の中で生み出されてきた「暦めいたもの」があったことは、容易に推理できる。9~10月ころの柴刺し行事などは、それまでの年替わりの行事だったという論に出会ったことがある。しかし、本格的な議論には出会ったことはないので、私個人は肯定否定の判断を保留にしたままである。
ともすると、太陽暦になじんできた人には、太陰暦(旧暦)が、古い沖縄の生活習慣をよく反映していると理解することが多い。だが、太陰暦で、沖縄の生活習慣に合わないことは多い。大雪・小雪・立春・立夏・立秋・立冬などは、その例だろう。大陸中国の自然を反映している太陰暦と、亜熱帯海洋気候の沖縄とでは合わないことは多い。
無論、太陰暦導入前後から、成長拡大してきた水田稲作農業には、太陰暦に合わせるものが多いだろう。沖縄の稲作は、気温や台風の関係を考慮しながら展開してきた。台風襲来以前に収穫を終えようとするのはその例だろう。盆行事が収穫後に行われるのも、そのことと関係しよう。夏の暑さと日中の暑さを避ける生活習慣が、太陰暦ではない沖縄習慣に沿って展開してきたのも、その例だろう。
また、一日4食の農家が多いのは、甘藷(サツマイモ)主食との関連だといわれる。太陰暦もそうだが、その次の太陽暦も、時の為政者によって導入制定され、人々および人々の生活習慣支配と深く絡む。だが、それらに忠実に従うのではなく、独自に展開する集落や人々が、いまも多いことは確かである。その意味では、支配に合わせた生活の営みだけでなく、自然に合わせた営みを多様に組み合わせて、沖縄の人々は暮らしている。
写真は本文にかかわりなく、体長センチのカマキリの赤ちゃん
まず、自然とのつながりをめぐることである。沖縄は、アニミズム的な信仰・世界観が広く深く生きているという指摘にしばしば出会う。御嶽信仰とかニライカナイ信仰などは象徴的存在だろう。そしてそれらには、自然と闘い、自然を克服しようとする考え方とは異なり、自然とともに、ないしは自然と一体化して生きるという観念がある。
「自然流でいく」と私は理解している「ナンクルナイサー」などは、今日なお強く生きている。この言葉を「投げやりな」否定的意味合いでもってとらえ、そこから脱しようとするのか、それとも「自然流で行く」という肯定的な意味合いでとらえるか、ということがある。
これらは日常の生き方レベルのことだが、歴史的に見ると大きな変化をくぐりぬけてきた。それを示す一つとして暦がある。数百年前、中国から太陰暦が導入される。それ以前は、文書化された暦がなかったにしても、人々の生活の中で生み出されてきた「暦めいたもの」があったことは、容易に推理できる。9~10月ころの柴刺し行事などは、それまでの年替わりの行事だったという論に出会ったことがある。しかし、本格的な議論には出会ったことはないので、私個人は肯定否定の判断を保留にしたままである。
ともすると、太陽暦になじんできた人には、太陰暦(旧暦)が、古い沖縄の生活習慣をよく反映していると理解することが多い。だが、太陰暦で、沖縄の生活習慣に合わないことは多い。大雪・小雪・立春・立夏・立秋・立冬などは、その例だろう。大陸中国の自然を反映している太陰暦と、亜熱帯海洋気候の沖縄とでは合わないことは多い。
無論、太陰暦導入前後から、成長拡大してきた水田稲作農業には、太陰暦に合わせるものが多いだろう。沖縄の稲作は、気温や台風の関係を考慮しながら展開してきた。台風襲来以前に収穫を終えようとするのはその例だろう。盆行事が収穫後に行われるのも、そのことと関係しよう。夏の暑さと日中の暑さを避ける生活習慣が、太陰暦ではない沖縄習慣に沿って展開してきたのも、その例だろう。
また、一日4食の農家が多いのは、甘藷(サツマイモ)主食との関連だといわれる。太陰暦もそうだが、その次の太陽暦も、時の為政者によって導入制定され、人々および人々の生活習慣支配と深く絡む。だが、それらに忠実に従うのではなく、独自に展開する集落や人々が、いまも多いことは確かである。その意味では、支配に合わせた生活の営みだけでなく、自然に合わせた営みを多様に組み合わせて、沖縄の人々は暮らしている。
写真は本文にかかわりなく、体長センチのカマキリの赤ちゃん
Posted by 浅野誠 at 16:06│Comments(0)
│沖縄