我慢と自己主張 連載「私の常識」21
幼少期から老年期に現在まで、私の思考・判断・行動には、次の二つが併存してきた。
A 我慢し耐えながら、コツコツとやっていけば、いつかは評価され報われる。
B 自分の意見を声に出して主張し、それを行動にしていく。
併存するこの二つの比率は、A優勢からB優勢へと少しずつ移ってきた。といっても、今でもAは強く存在している。A優勢の若い頃にも、Bを持ち「時がきて」Bを出せるのを待ち続けてきた。A優勢のために、パニックを起こすほどになって、やっとBを出すという時期もあった。A優勢の若いころには、優柔不断の自分を嘆いたこともあった。
この比率には、もちろん波がある。波の振幅は一日のうちに何度もあるような時もあった。AとBの間を揺れていたのだ。振幅周期がゆったりしてきているのは、加齢のおかげだろうか。激しい揺れは、若いころ多かった。チックのような神経症状を伴うこともあった。チックは中学入学に始まり、30代初めまで続いた。
※つい最近、2月出版予定の書籍のプロモ-ション動画(ユーチューブ)に写った私の顔面には、チックの残像が見られた。緊張すると、いまでもあることを再確認させられた。
このおおまかにいって、A優勢からB優勢への比率変化の背景には、私の思考・判断・行動をコントロールする外的枠組が年齢とともに弱くなってきたこともあるが、私自身がAよりもBを大切にする生き方を選択創造してきたことがある。例をいくつか出そう。
中学時代の受験にシフトした「勉強生活」では、学校という外的枠組から与えられたものに沿ったA優勢だったが、高校に入って自分なりに課題を見つけて考えていくB優勢の要素が高まっていく。
20代の研究生活では、当時有力であった流れを受け止め学習しつつ研究するという、A優勢だったが、30代に入ると、自分なりのものを創っていくB優勢へと移っていく。そのなかで私なりの生活指導論、大学教育論、沖縄教育論が生まれていく。
70代半ばに本格化した「老」論は、「若=善、老=悪」という外的風潮のなかでA優勢であることに抗し、『老=誇り』という老の積極的意味を発見創造というB優勢を打ち出していく。
写真は本文にかかわりなく、リュウゼツラン
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