家事における必要性有用性と娯楽性 連載「私の常識」25
老年期に入ると、職業に代わるやりがいのある活動を求めて、また時間を持て余して、趣味活動を始める人が多い。と同時に、家事のようにやらなくてはならないことを義務感ではなく<楽しみ>として、つまり趣味に類した活動として展開する人も増えていく。
家事は、同じことの繰り返しのルーティーンなものだという見方があるが、その面があるにしても、その時の条件と当人の気持ち次第で、そうではなくかなり創造的になることが多い。食事づくりを趣味のようにする人も多い。近隣や知人に「おすそ分け」することを楽しみにしている人も多い。食事づくりほど創造的なものはないといえそうだ。食材・味付け・調理温度・飾り付けなどすさまじく多様で創意工夫をもとめるものはない。だから、グルメでレストラン巡りする人を大量に生み出すのだろう。テレビで料理番組が増えるのもなるほどと思う。清掃を美化装飾イメージでとらえる、あるいは「心を美しくする」活動ととらえ、精神修養あるいは娯楽とする人も多い。
このように見てくると、家事には必要性有用性の性格があると同時に、娯楽性も含んでやりがいを与えるものという性格もあろう。「気晴らし」になるという人もいる。「楽しみ」がなくちゃ、やっておれないという人もいよう。誰かから指図されるわけでなく、自分がやりたいことを自分のペースでできるという性格が色濃い。近頃の私は、こんな感じで家事をしているが、年齢とともに様相が変化する。遂行に困難が伴うようであれば、だれかに援助を求めたり、代行サービスを活用することもあろう。依頼することで、人付き合いが増すこともあろう。
だから、家事ができなくなる時、あるいは減ってしまう時、寂しさを感じる人も多いだろう。誇り感覚を下げてしまう人もいるだろう。その際には、何か特別な工夫対処が求められる。
写真は本文にかかわりなく、八重瀬公園で撮影したもの
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