家事を我慢してやるか、楽しんでするか 連載「私の常識」22
私と家事とのかかわりは、まず幼少期の家業・家事手伝いから始まる。家業の婦人服仕立て&稲作農業の手伝いは、かなりの時間したが、当時の周辺地域では、ごく当たり前のことだった。家事では、清掃や朝のご飯炊き(窯で薪を使う)や風呂焚き(石炭使用)などは、かなりした。食事のおかずづくりなどはしていないので、調理の知恵などは身についていない。
大学院生になって、自炊可能な下宿生活をして、多少の自炊をしたが、そのころまでは家父長制の空気があって、食材の買い物に出る時は、恥ずかしさがあった。魚店で切り身を買う際、店主から「大将、何匹にしますか」と尋ねられて、「一匹」とは言いにくくて、「二匹」と答えた記憶が残っている。
そのころは、家事とくに食事作りをする男性は珍しく見られていた。家父長制が強く残っていたころで、「男子厨房に入らず」ともいわれ、男子だけの会話で、「料理作りをしています」と話すことがはばかられる雰囲気があった。
結婚生活で二人で家事分担をするようになった1970年代のことだが、私は、そのころから食事作りを分担してやっていた。とはいえ、「好きでやっていた」ことは否定しないが、共同分担の義務としてやっていることが主要な気持ちだった。
いろいろな家事を夫婦で、さらには子どもたちも加えて分担していたのは、1990年代前半までのころだった。そして、2010年代までは、私の家事分担は全体の3~4割だった。ところが、事態が変わった2020年代になると、徐々に増え、食事作りは私の中心家事になった。そのなかで、義務として家事を分担してやる要素が下がり、当然のこととしてやることが圧倒的に増えてきた。
こうして、分担という理念も含んだ家事から、日常生活進行の上で当然するものとして、そしてそれだけに<楽しみ>としてする家事へと大きく変化してきた。
写真は本文にかかわりなく、千年木の垣根(スミマセン タテヨコを直してご覧ください)
関連記事