(続々)全生研での出会い 城丸章夫 出会った方々37
(続々)全生研での出会い 城丸章夫 出会った方々37
1970年代の全生研大会では、研究者集会という集まりがもたれ、全生研の理論と実践に関心を持つ若手研究者が、毎年10名前後集い、いろいろと議論した。それは、90年代初めまで続き、共同で「ゼミナール生活指導を変える」(青木書店1994年)を出版するまでに至る。
ところで、広島大学教育方法研究室の吉本均さんには、1970年の全国大会で出会い、私の琉球大学赴任後、集中講義で来沖の折一度お会いしたし、私が方法学会参加の際に話すこともあった。強力な彼のリーダーシップの下、教育方法学会には、同大学の院生たちが大挙参加し、学会運営を担っていた。全生研大会にも、院生たちが誘い合って何人も参加していた。その場で、折出健二さん、藤原幸男さん、岩垣さん、子安さん、山本さん、船越さんなど、多くの方々と出会った。特に折出さんとは長い付き合いとなり、とくに1990年代以降、回を重ねたので、連載の先の方で書く機会が増えるだろう。藤原さんとは、1970年代半ばに彼が琉球大学に赴任して以降、日常的に出会い、共同で仕事をする機会がたくさんあった。
以上の他に、埼玉大学の川口幸宏さんとの出会いが記憶に深く残っている。川口幸宏さんとは子どもの病気と付き合う体験などを共有し、いろいろと語り合うことが多かった。その付き合いがつながって、1983年刊の「大学教師の実践記録」の発刊では、私と並んでご執筆いただいた。
全生研大会の分科会では、城丸章夫さんとご一緒した数回が印象に深く残っている。主として、幼児教育分科会であったが、他に障害児教育や小学校低学年分科会でご一緒したかもしれないが、私の記憶が不鮮明だ。分科会を担当する全生研常任委員には小中教員がほとんどであったので、これらの分科会を担当するものは、研究者が当たることが多くなり、城丸さんと私とがご一緒する機会が多かった。城丸さんは、地域子ども会、体育など多様な分野で、しかも手薄な分野で、開拓者的な役割を果たすことが多かった。その創造性あふれる発言は、分科会参加者に強い印象を与え続けた。ただ発言時間が長すぎることが多く、他の人の発言時間を縮める問題があり、司会進行を務める私は、彼の発言機会と発言時間をコントロールしなくてはならなかったが、城丸さんはそれを受け入れてくれた。
写真は本文にかかわりなく、奥武島の龍宮神
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