大田堯 大学院生協議会での出会い 出会った方々33

浅野誠

2025年03月28日 08:49

 正確な時期は記憶に残っていないが、修士から博士に移るころ、全国学力テストをめぐる愛媛香川の事態の日教組による調査の手伝いをしたことがある。香川調査の中心は大田堯さんだったが、その手伝いを黒崎勲さんとともに務めた。この調査期間中、大田さんとはいろいろ会話をかわし、多くのことを参考にさせていただいた。そのころ、大田さんの自宅訪問をさせていただいた記憶が残っている。
 数年後、大田さんが来沖され、大宜味で明治末の小学校通学者の聞き取りをいっしょにしたことがある。通訳は、琉球大学民俗研究クラブ部長経験者で素晴らしい卒論を書いた佐久川紀成さんにしてもらった。

 合計3年間の大学院時代は、大学院生協議会でできたつきあいの時期でもあった。修士一年前期は、教育院協の書記長を務め、委員長をしていたと記憶する箱石さんとの出会いが深まり、一年後期は、大学全体の院協の委員長を務め、全学の多様な分野の方々との付き合いが広がった。それまで訪問することが少なかった理学・農学などの分野も訪問し、付き合いの幅がぐんと広がった。実験中に感電事故にあった院生の話とか、畜産を専門にしていた林良博さんが豚肉を差し入れてくれ、味わったことが、なぜか記憶に残っている。
 博士一年になって、全国組織である全院協の事務局長になり、さらに付き合いが広がった。前任者である海部宣男さんや宮地正人さんとも知り合った。また、事務局をともに務めた河野さんとは、10年余り後に再会した。また、当時急増した修士だけの大学をめぐって全国を回ったことも記憶に残る。
 全院協の仕事をはじめたころ、事務局体制を確立するための事務局メンバーの補充をしていたが、その候補者の一人が、実は根間恵美子だった。その出会いをきっかけに、結婚するまでに至るが、詳細はすでに書いたことだ。



写真は、本文にかかわりなくシラン

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