全国生活指導研究協議会(全生研)との出会いのなかで 出会った方々34

浅野誠

2025年03月31日 15:27

 院協の付き合いでできた知人と、大学教員になった後で再会することはしばしばだった。竹田秀輝さん、河名俊男さんなどがそうだった。竹田さんとは、1972年4月の沖縄赴任の際の船便でご一緒し、語り合い飲み合って、新しい仕事の準備体操をした。ほぼその10年後、竹田さんはロンドンで在外研究に従事していたが、私たちも彼らを頼ってイギリス旅行をした。竹田さんと私たち夫婦は、レンタカーを借りてブリテン島一周のドライブをしてたくさんの思い出を作った。イギリス旅の後、当時パリで勤務していた旧知の沢部さんと恵美子の友人であった信田さよ子さん夫妻のお世話でパリ巡りをしたのも、たくさんの思い出を残した。
博士課程進学後、研究の土俵を絞っていくことが必要になってきた。生活指導分野に絞ることは既定だが、修士時代から機関誌「生活指導」を購読し、小中学校の実践記録に触れる中で、現場実践と結びついた生活指導研究に焦点を当てていくことにした。そこで、実質的な指導教員となっていた竹内さんにアドバイスをいただいた。全生研のなかの何かの研究会の紹介を依頼したところ、全生研常任委員になれとのことだった。竹内さんが学生院生のころ、指導教員であった宮坂哲文さんに常任委員になる流れに放り込まれたと竹内さんは書いているが、私の場合も全く同様だった。竹内さんの他にも、私に常任委員になるよう推す動きもあった。
 また、そのころ、全生研会員が実践している学校を竹内さんが訪問する際に便乗して、私も参加していた。今も記憶に残るのは、横須賀池上中学校の家本芳郎さん、中村勝彦さん、そして川口仲町小学校の服部潔さんの学校への訪問だった。これらの方々には、その後たくさんのお世話をいただいた。
 こうして、猛スピードで、全生研のなかに突入していき、1971年8月初めの全国大会で全生研常任委員となる。同時に常任委員になった人には、神保映、楠正明、大和久勝、宮原廣司さんがいたと記憶している。彼らとの長い付き合いの始まりだった。大和久さん、そして後に常任委員になる鈴木和夫さんとは、大学闘争(紛争)時期に面識があった。



写真は本文にかかわりなく、アオミオカタニシ(カタツムリに似ているが、カタツムリではない。準絶滅危惧種だが、なぜかわが庭に自生している)

関連記事