アイデンティティの複層化変化 沖縄随想18
前回書いたような個人における生育と活動のなかで、伊波普猷は、「外」の世界からの視野を含みこんで、沖縄アイデンティティ創出にかかわっていく。その際、活動の出発点となる言語学という専門分野に限定するのではなく、それを越えた分野、歴史学・民俗学・社会科学の視野を獲得し、いくつもの分野の視野・方法をもって活動を展開していく。その点では、前回紹介した外間の指摘は注目される。
ここで、沖縄アイデンティティに深い関心をもちながらも、「単純なウチナーンチュ」ではない私の場合、伊波と比べて、時代の差異、出自の差異など大きいが、加えて田舎の農民層から出て、高度経済成長下の社会変動のなかで、社会移動してきた点に特性がある。ここで、「高度経済成長下の社会変動」と述べたのは、序列競争秩序が人々、とくに若者・子どもを覆いつくした1950年代末以降のことで、そこで序列競争が作り出す社会移動、そして農村から都市への地域移動という巨大の流れの中で、アイデンティティを形成変化してきたという意味である。
沖縄においても類似の社会変動が進行するが、序列競争秩序は、1960年代にあっては一部の、そして1990年代に至って大半の若者・子どもをおおい、それが、個人のアイデンティティに強い規制力を働かせ、それが沖縄アイデンティティ形成と重なってきた。1990年代からの全国学力テストをめぐる動向がその象徴的なものだろう。
こうした社会変化は、人々の生き方・人生に強い規制力を働かせ、沖縄アイデンティティと重なりつつ、沖縄で生きる若者・子どもに限らず、人々全般を覆ってきた。
ここまで、アイデンティティを国家・民族レベル、個人レベル、社会位置レベルといくつかを並べて述べてきた。そのアイデンティティのレベルには、複層化と変化が見られる。まず支配国家・支配民族のアイデンティティへの同化を求める強い統制への多様な対応の動きの中で登場するものがある。それは、19世紀末から20世紀の沖縄で典型的にみられる。同化に迎合するものは、「沖縄は遅れている。早く本土に追いつけ」という対応をするし、同化に批判的なものは、沖縄独自のものを追求する。
支配への同化ではなく、複数のものの存在を認めるだけでなく促進しようとする多文化主義の動きが1980年代ごろから登場し地球規模に広がり始める。多様な人々のアイデンティティの共存を認め促進しようとし、さらに多様なものの共存というアイデンティティが広がる。そのなかで、民族という言葉に代わって、エスニシティ(エスニティ・グループ)という言葉が広く登場する。
また、ジェンダーや性的オリエンテーションなど多様さを承認する動向、障がい者との共存を求める動向も広がる。そうした中で、私は在日朝鮮人とからんで尹健次が提起した「異質共存」という言葉に刺激を受け、「異質協同」をキャッチフレーズにして論じてきた。
写真は本文にかかわりなく、ライチの開花(果実収穫は6月)
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