伊波普猷全集・比嘉春潮全集を読む 沖縄随想16
わが書棚の整理を進めているが、その過程で、読み残しや再読の必要を感じるものを読むことにしている。沖縄関連書籍では、まず伊波普猷全集・比嘉春潮全集を、昨秋から読み始め、今ようやく完了しつつある。これらを購入した1970年代から80年代にかけて、「沖縄県の教育史」(思文閣1991年)の執筆作業をするなかで、これらの全集の中の関連個所は読んだが、全体としてみれば超飛ばし読みであった。ということで、40~50年経過した今になってようやく通読したところだ。
そのなかで、二人の巨大な仕事の全体像をつかむとともに、対比させながら、私の作業を考えてみる。伊波普猷の著述を中心とする仕事は、沖縄アイデンティティと伊波自身のアイデンティティとを重ね合わせて進められたことに著しい特質がある。それとは異なって私の場合は、沖縄アイデンティティと私自身のアイデンティティとを重ね合わせることはできない。多彩なものが歴史的に折り重なって作られてきた沖縄アイデンティティに深い関心をもちつつ、沖縄アイデンティティを持つ人への羨望の念を含みつつ、多元的なアイデンティティを持つ私自身という複雑さのなかに自分自身を位置づけてきた私がいる。
沖縄アイデンティティと自分自身のアイデンティティとを重ね合わせる人は多い。むしろ、沖縄で生育した人の多くが、無意識にせよ、そうしたものを持っているとさえいえるかもしれない。そして、そうしたありようにおいて、沖縄および自分自身を対象化してみつめ自らのアイデンティティを考えている。
こうしたことが伊波の場合どうなのかについて、伊波全集第11巻所収の外間守善「伊波普猷の学問と思想」のなかで、外間は次のように指摘している。
伊波は、「南島人の祖先は日本の建国以前に筑紫辺から南下して、久しく氏族制度の下に生活した者で、院政鎌倉時代以降九州地方から時をおいて侵入した者に征服された結果、(中略)二つの文化が接触によって、やがて南島文化の基調が出来たのであります。」と述べ、前者を「母の言葉」、後者を「父の言葉」と名付けている。外間は、「文化と言語の重層した基調の上に、さらにかぶさっていく文化的、言語的諸現象の実態を整序的に体系化していくことを、「私の沖縄学の体系化」と自ら読んだことは十分推測できる。伊波の学問の対象が、沖縄という地域の文化の総体を明らかにすることにあったとするなら、その学問をあらわすのに「沖縄学」という名称こそもっともふさわしいといえないであろうか。」p509-510
写真は本文にかかわりなく、わが庭光景
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