(続々)恵美子の親戚 仲里喬 中学高校時代 出会った方々24

浅野誠

2025年02月09日 08:13

 道雄幸子の次男仲里喬とも深いつながりがあるが、なんといってもインターネットやコンピュータの指導で世話していただいていることが大きい。もう20年にもなる。彼のように世話指南役を40年間に数人お願いしてきたが、彼が最長期間であり、今後もお願いし続けるしかないと思う。彼もスポーツマンで、彼の息子も含めてボーリングで活躍している。息子は、高校で6つも部活をこなす多彩な若者で、バイトで見込まれたスポーツクラブで働いている。
 恵美子の兄根間武雄にはなにかとお世話になった。1974年から2年間住んだ南風原の私たちの家は、当時沖縄土産物の取引をしていた彼らの倉庫を改造したものだった。世話好きで、いろいろなことで世話になった。宮古に行くと、どこかに出かける際は、私たちを運んでくれた。囲碁の世界では名が知れていた。
 ここまで書いた以外にも、たくさんの親戚づきあいがあり、恵美子と結婚したおかげで親戚いっぱいの私になってしまったのだ。

 このあたりで、少し時期をさかのぼって、中学高校大学時代に出会った人について書いていこう。中学高校時代で、お世話していただいた教師は多い。とくに高校2年以後だ。中学時代では、生徒会役員をしている際の顧問だった小川猛郎さんが記憶に残っている。著名な教育研究者小川太郎の息子さんだ。小川太郎さんとは、70年代初めに研究会の大会で一度お会いしたことがあるが、それまでに彼の著書を何冊も読み、私の教育学の基礎学習文献であった。
 高1までは、受験体制の「模範生」扱いを受けていた私で、受験体制へと導く教師が多く、記憶からどんどん遠のいており、いまでは名前さえ思い出せない方が多い。また、高校1年のころは、受験体制にのりながらも反発するというアンビバレントなふるまいをしていた。その一つは、教師への反抗を、授業で教師を質問攻めにするというものだった。



写真は、超蝶珍しいわが猫のアメがニジにパンチする場面

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