包摂・排除 同化 差別とアイデンティティ 沖縄随想9
支配従属関係の中では、境界の内側の人に対しては「包摂」、外側の人に対しては「排除」の力学が働くことが多い。その力学のなかで、支配の側が求めるアイデンティティへの従属、つまり「同化」作用が強力に働く。それは支配側に転化することを求めるというよりも、従属としての同化をもとめるものである。戦前の沖縄では、それが強力に展開した。
加えて、支配従属関係がつくられると、支配集団の成員によって、従属集団の成員に対する差別が展開していく。日本の直接の統治下に入った琉球処分以降の沖縄で、来沖し沖縄「支配」の役割を担った人々、つまりはヤマトゥンチュにより、ウチナーンチュ差別の言動が広く展開された。戦後においても、そうした感覚をもつヤマトンチュを見かけることが少なからずあった。
と同時に、支配集団内部においても、従属集団内部においても、上下関係秩序が成立強化されたり、あるいはいくつかの集団に細分化されたりして、その上下位置による差別が生み出されていく。たとえば、若き日の比嘉春潮が書いたものには、「沖縄が長男で、台湾が次男で、朝鮮が三男」とみなされて、差別的言動が出てくることを嘆くものがある。そんな発想で、台湾・朝鮮を差別的に捉えるウチナーンチュもいた。沖縄内部でも、離島へき地住民に対して、差別的ニュアンスを持って語る例に出会うことは近年まで稀ではなかった。差別されている弱者が、別の弱者を差別するという、差別の加害と被害とが併存するともいえそうだ。差別されることで、生み出されたコンプレックスを、より「下位」のものに対する差別によって「代替・緩和」しようとするものだろう。
写真は、本文に関わりなく、椿
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