支配従属とアイデンティティ 沖縄随想7
社会・集団とのかかわりで歴史的に多く登場する一つは、異民族支配のなかで支配する側の人々も従属する側の人々も、「自分は、どこに所属するのか」という問いの中で発生するアイデンティティ問題である。それは、個人が選んで決めるものではなく、どのような社会・集団のなかで出生し育ったのかということで決まる。だから、アイデンティティが不明だとか、揺らぐといったことは生じにくい。だからアイデンティティ探しのテーマが個人レベルで生じるのは稀だった。
沖縄でいうと、百年ほど前までは、〇〇というシマ(集落)で生育したから〇〇ンチュであり、〇〇というアイデンティティをもつこと、あるいは〇〇というシマをすべて包み込んだ沖縄で生まれ育ったからウチナーンチュであることが、ごく自然な成り行きで当たり前のことであった。
沖縄における支配従属関係ということでは、17世紀からの薩摩支配、19世紀からの日本の国家支配(統合・併合)、20世紀では、沖縄戦とそれに続く米軍支配・日本「復帰」が象徴的なものである。それらにはおうおうにして軍事的衝突・戦争の形をとることが多く、個人の意思をはるかに越えたものであった。沖縄戦体験のなかで、スパイ容疑をかけられた人の周辺、集団「自決」を迫られた人の中で、それをめぐる矛盾と緊張が集中的に表れた。
こうして支配従属のなかでどこに所属しているのか、という社会・集団と密着したアイデンティティが、個人の意思を越えて、大規模に強制的に成立する。それは、支配集団においても、従属集団においても成立する。そして、両者の間に境界が作られ、どちらの集団成員であるかによってアイデンティティが、個人の内側ではなく、外側から決定される。そして境界の外側に対しては排除が、内側に対しては包摂が強制的に行われる。
写真は本文にかかわりなく、オオタニワタリの変種
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