社会組織レベルと個人レベルにおける再帰と自己展開サイクル 私の沖縄(歴史)研究24

浅野誠

2024年09月26日 18:47

自己展開サイクルは、前回述べた学校教育だけでなく、どの分野でも求められている。たとえば、起業家たちは、自分自身で起業した会社を、自己展開サイクルで維持前進していけるようにしている。また、社会運動組織・各種NPO組織・協同組合なども、定期的に総会などを開催し、それまでの活動を評価総括し、次期の方針計画を検討討論を経て決定し活動を展開している。自治体にしてもそうである。ただ、日本における地方自治体は、国などの上部組織の下請け的性格が強く、自分たちで決められないことを多分に含んでおり苦闘している。
そうしたトップダウンではなく、ボトムアップ的なものを求めるのが、広汎な人々の要求となっている。私が提起してきた「自己展開サイクル」、そして「再帰」が、外側上側の定めた基準ではなく、自分自身、ならびに自分たち自身で作ったもので考え行動していくことを求めるものである。
そのため、「自分自身で考え決めて行動していく」ことに困難を感じさせる大規模組織から離脱しようとする人々は絶えない。ことに大量生産大量消費社会のなかで、自分なりのものを実現しようとする願いは、広く深くなっている。日本では、大量生産大量消費がピークに達した1980年代以降、その要求が高まっている。そのあたりの事情は欧米でも同様であるからこそ、ベックやギデンスの「再帰」にかかわる提起が強く広い反響をよんだのである。
ところで、「近代」というものが、本質的にそうした性格を持っているのか持っていないのか、問われる必要がある。そうなっていない状況を克服する意味で、「再帰」を重視する「第二の近代」、つづめていうと、「再帰的近代」が求められたのである。近代は、社会集団のみならず自立した個人が再帰・自己展開サイクルで行動できる社会であるとすれば、「再帰的近代」は、個人及び社会組織が、自分自身および集団自身を自分たち自身で「自己展開サイクル」で作っていくことを求める。



写真は本文にかかわりなく、近隣のガジマル 美しく剪定されて、通路の笠になっている。

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